遠い温泉の記憶
私たちが旅行などで利用している温泉ですが、日本ではいつ頃から利用されてきたのでしょうか。
調べていると、縄文時代の遺跡やその場所、地層などから縄文人も温泉を利用していたのではないかと言われております。日本では猿も温泉に入ることを考えれば縄文人が温泉を利用していたであろうことは想像に難くないような気がします。
文献としては、古事記や日本書紀、風土記などに温泉の記述がみられ、中には神話の時代から続くといわれる温泉地もあります。歴史的文献に基づくと一般的には「道後温泉」(愛媛県)、「白浜温泉」(和歌山県)、「有馬温泉」(兵庫県)が「日本三古湯」と呼ばれており、我が国では古代から温泉が利用されていたことが分かります。
温泉利用は、縄文時代の頃は入浴だけでなく調理にも使われていたようです。
現在のようにスイッチを押せばお湯を沸かせるのとは違い、火を起こすのも一苦労な時代でしたのでさぞ重宝されたと思います。
古代の人々にとっては、非常にありがたく貴重なものであったのでしょう。
さらに、温泉には色々な成分が含まれており、毎日のように入浴することで病気や怪我が良くなり、料理に使うことで飲泉の効能もあり温泉を利用できた縄文人は健康的だったのかもしれません。なので、相当神聖なものとして捉えられていたのではないでしょうか。
奈良時代に入ると奈良の都で仏教が盛んになり、平安時代頃まで温泉は一種の信仰の対象であったようです。
法師の歴史の始まりもまさにこの時代に、白山で仏教の修行をされていた泰澄大師が白山大権現から「粟津村にある霊泉を掘り当て末永く人々の為に役立てるがよい」というお告げがあったことから始まっております。
時は、養老2年(西暦718年)弟子の雅亮法師に湯守をお任せになり現代に繋がっているのです。
当時は、仏教の伝搬と温泉による病や怪我の治癒という二つの要素が絡み合い、霊験あらたかな場所として湯治場が利用されていた記録もあるようですので、人々にさぞ大事にされていたのではないでしょうか。
戦国時代になると、温泉は戦で負傷した侍の治癒や不老不死の願いを込めるなど温泉の効能を重視したものになっていきます。入浴の習慣も徐々に広がり、温泉街も作られ始めたのはこの頃のようです。
それから江戸時代になり、広く庶民も利用するようになると温泉がブームとなりました。
庶民も田植え後や稲刈り後などの節目に長湯治を行うようになってきました。
温泉の管理も各藩が行い、湯治客から湯税と呼ばれる現在の入湯税のようなお金を支払うようになったのもこの時期からです。
近代になると、温泉の掘削は手掘りからボーリングに変わり汲み上げるためのポンプも導入され、大量の温泉が汲み上げられることにより温泉地や宿が一気に増えて行きました。
現在のように観光として温泉地を巡るようになったのはこの頃からです。
今では、観光からレジャー化している温泉も多くなり本来の温泉の活用方法から大きく変わってきておりますが、それでも私たちが温泉を愛してやまないのは、遠い昔の温泉の記憶が体内の細胞に記憶として残っているからではないでしょうか。
一度、温泉にご入浴の際、スーッと目を閉じてみてください。私たちに眠る遠い温泉の記憶がよみがえってくるかもしれません。
令和元年10月1日
番頭の与太話